さくらの花束 DISC1 おぼえがき


観ていてまいまいにムカついたし、ちょっと本気で怖いし。それほど引っぱられてしまった。演出の妙と役のハマり具合は似た系統ながら『ストロンガー』の彼女を個人的には大きく凌いだけれど、もしかすると成長? でも、すごくなにか言いたげな笑顔。それってまいまいが、ときおり見せる普段からのもの、だった気がする。
千聖の声はとても優しい。それでも観ていてイラついた。感情的な釣りなどに、自分はあまりかからないタイプと思っていたけれど、これだけ執拗に、徹底的に、女子高生のダベりを延々と続けられて、しかもテンポが非常に良くって、やっぱり引っぱられてしまった証拠。にしても、いやらしい話ではあるけれど、めそめそした泣き顔が、超かわいかった。
愛理の見たことない一面。強気で、軽薄で、チャラく見せてもプライドの高さが隠せない。しかもそれらどれもに、うらはらを感じさせる微妙で絶妙で、かっこいい愛理。モテる男子にコクられた喜びと、友達に裏切り者扱いされる恐怖の板挟み。それを「疲れるなあ」って言葉で本心を誤魔化すところも含めて、ありがちな女子・鈴木さんが新鮮だった。まいまいに対する最後の懺悔は若干唐突感が否めなかったけれど、つまらない友達同士のなんちゃっての関係の破綻が重たすぎて、途中でチャプタースキップしたくなる気持ちを抑えつつ、「とある彼女(台詞の中でのみ登場)」がいた頃の関係が明かされ、そんな自分たちへと全員が戻っていったとき、DISC1〜3の中でも、もっとも爽やかなエンディングが待っていた。
ちなみに、途中で一瞬だけ登場するなっきぃが、マジでインパクト大だった。

離れたところのベリキュー勝手イメージ

℃-uteには置いていかれていくイメージ。はやく追いかけないと背中が見えなくなる感じ。アイドルにとって異端の努力を、無意味ではなく正統進化と言わしめるための、まだまだスピードを上げて、5人が扉に手をかけようとしている。ここにいる彼女たちは、もういないよ。はやくおいでよと勝手に言われているような。待ってなんかくれやしない。どんどん変わっていくんだから、もっとすごいことになっているからってね。
Berryz工房は変わらないんだろうな、ってイメージ。ちょっと違う別の一面も、結局ベリじゃん。そもそもベリじゃん。要はベリなんじゃん、な感じ。ここにいる彼女たちは、そこにいるよ。いいからおいでよと勝手に言われているような。待ってなんかくれていない。地球の平和を願ってアジアン。面積だけはひろがって、体積だけはいろいろで、なんにも変わっていないんだから、もったいないったらありゃしないからってね。

非ヲタ

アイドルをリアルタイムで応援しないでなにがファンだと自分で思うので、自分はハロヲタではない、という前提で、ゴールデンウィーク中に見たDVDを振り返ってみると・・・
℃-uteコンサートツアー2012~2013冬 ~神聖なるペンタグラム~
℃-ute Cutie Circuit 2012~9月10日は℃-uteの日
℃-uteコンサートツアー2012春夏 ~美しくってごめんね
アロハロ!2 ℃-ute~
Berryz工房コンサートツアー2013春 ~Berryzマンション入居者募集中!~
Berryz工房七夕スッペシャルライブ2013
シュガースポット
・ごがくゆう
・ストロンガー
・さくらの花束
・・・一般からすると十分ヲタだと言われるかな? 言われるな。だけど、つい先日、会社の新チーム初顔合わせミーティングの自己紹介で、「趣味はハロプロ。もう10年近く応援してます」と言ったはいいけど、それが本当じゃないってことはわかっていて、だって、「モーニング娘。’14」って名前を知ったの、昨日ですよ。道重の卒業発表を知ったのも昨日ですよ。なんで10周年記念と銘打っているのに桃子だけがミュージカル不参加なのよ。
・・・と、そんな思いも明日にはどっか行っちゃうかもね。1974。

『スマイレージライブツアー 2012秋〜ちょいカワ番長』(Blu-ray)感想


スマイレージたのしい。
かななんとあやちょが前説はじめたときは、なんだかグダグダしてんなあ、と不安になったけれど、それも束の間、オープニングBGMはカッコイイし、あがるし、スマ登場で、さらにあがるし、カッコイイ。やっぱりグループって、いいな。スマイレージは、やっぱりグループなんだな。少なくとも、グループになっていっているんだな、ってことがわかる公演でした。
最後の最後まで、かなり見応えがありました。スマイレージのコンサートDVD(Blu-ray)を観るのは1stツアーの『デビルスマイル エンジェルスマイル』以来でしたが、℃-uteの“君は自転車”をカバーしているし、往年のハロプロメドレーもあるから全部が全部というわけじゃないけれど、それでも良曲づくし。スマイレージは、十分、曲に恵まれたグループだと言えるし、また、メンバーにも、恵まれたグループなんだと思いました。
まず思うのは、めいめいのことナメてました、すみません、と。いままでもアグレッシブな感じはしていたんだけど、ここまで肉食系の子だとは! 思っていませんでした。ダンス…というよりは、全体的なパフォーマンスのノリが極めてエモーショナルかつ、独特です。つんくPが「自分流すぎる」と苦言を呈していましたが、“新しい私になれ!”のMVなどを見るかぎり、あまりクセは抜けていないように見えます。直せないのか、直さないのか、がんばり中なのか、わかりませんが、少なくとも今回の公演に関しては、彼女の、音楽に「一人でノリすぎている感じ」に惹かれました。また終盤は若干、動きに息切れ感がある気がしたけれど、テンションは落ちていないため、「ヨタっても全力」という、あまり見たこともないようなパフォーマンスを楽しめました。
タケちゃんは、丸いです。彼女の丸顔、ショートが抜群にキャラ立ちしていて、加えて勝田りなぷ〜のおっとりした感じは、MVなどで見る以上に、ほかのメンバーとの雰囲気の差として表れていて、グループのビジュアル的には、この二人の存在が、強いアクセントとして、バラエティー感をもたらしている気がします。両者の個性とも、たとえばビシッとシャープにキメたいような曲では、違和感として足を引っぱってしまう要素かもしれませんが、二人の変化に期待すればいいのか、曲のアレンジに期待すればいいのか、あるいは慣れの問題なのか、まだわかりません。
タケちゃんの、今回のMCで「ちょいバカ代表」と、かにょんに名指しされても否定せず、電卓が使えたことに「よしっ」なんてガッツポーズしているあたりの、その開き直りが微笑ましくって、こういうところは、タケちゃんらしさなのかな、と思いました(彼女以外にも、バカっぷりなら、特にベリキュー先輩諸氏の中には、その手の猛者が、かなりいると思いますが)。でも、そんなタケちゃんだけど、意外に緊張しいなんじゃないかと思ったのは、“元気ピカッピカッ!”を歌ったソロパフォーマンスを見たとき。いままで安定した歌いっぷりだったはずが、ステージで一人になった途端、不安定になった気がしました。声は出ているんだけど、若干うわずっているようにも聞こえます。
緊張しいとは違うかもしれないけど、かななんのパフォーマンスが終始カタイです。まだまだ表情も歌い方もダンスの動きも、思い切れていない感じがありありで、それが純粋っぽいイメージを見せていることは否めないし、タレント的なしたたかさよりも、シロウト的な清楚さに惹かれる気持ちもありますが、かななんの場合はシロウト的というよりもシロウトであり、べつにいま以上にハジけきったって、かななんの純粋さが変わるわけでもないんだから、早いところステージに慣れて、自分に自信つけて、もっとスマイレージを、かななんの力でおもしろくしてほしいって、まだ“ヤッタルチャン”を知らぬ彼女には思うし、それでも、こんなにヒロイン然としたかななんを見るのは、この公演が初でした。ソロパフォーマンスのときのセンターポジションが意外なほどマッチしていたと思う。あと、意外に低くて太い声が出るんだな、と。
したたかさと言えば、かにょんが代表格かもしれなけれど、トークなどで、なにかと「型」を持ち出して、それに則ろうとする姿勢は、悪く言えばビビリであり、良く言えば危機意識の高い、道重さゆみにも通じる戦法は、戦法であるがゆえに、共感できない、というファンをも生むことでしょうけれど、本来なら、かにょんのキャラは「イロモノ」として、いじられて輝くタイプだと思うけれど、なんの因果か、グループ結成時からMCのまとめ役を任され、現在では1期なんていう先輩でもあり、どう転んでも、しっかりしなきゃいけない立場である以上、福田花音の中で、なにかが噛み合っていない、というのが個人的な印象です。トークは滑らかだし、メンバーの発言に対する切り返しも速く、能力があることは間違いないけれど。だけど、MC中、タケちゃんの腕が、お尻のあたりにあたっちゃったところで、「もー、なにー?」と、一瞬MCを忘れて普通にキョドる、そんな彼女を含めて、かにょんが好きだというファンもいるんじゃないかな。
歌に関しては、さすがにベテラン? って捉え方でいいかはわからないけど、かにょんの表現力は、ほかのメンバーよりも明らかに高いです。うるさいことを言えば、いわゆる「つんく歌唱」すぎるかな、という気はしますし、この日は、若干鼻声だと思いました。それにしても、ちょっと、かにょんが担っている役割って多すぎなんじゃないかと心配にもなるけれど、歌割りも比較的に多く、難しいパートも任されて、エースとしての一面もあるわけですが、この公演の最初、サキチィーパートって、かにょんが担っているんだ、と知って、嬉しいとか哀しいとかじゃないんだけど、なぜかウルウルした。
勝田りなぷ〜。「ぷ〜」の意味が分かった気がしたよ。なんちゅう融通の利かない、不動のおっとり感なんだ、と。曲調に少しでもほんわかした雰囲気が混ざれば、もう彼女の良さが前面に出まくりだし、(ちょっとだらしない感じの)「えへへ」な笑顔は、癒し効果ありありですが、やっぱりタイトなダンスナンバー系では、グループ全体として、彼女のエコダンスは足かせになっている。いえ、それが、りなぷ〜のマインドの問題なのか、単についていけていないだけなのか、わかりませんが。ただ、さすがに「激しめ」を越えたハイスピードで重低音ゴリゴリの“ねぇ先輩”“大人の途中”などでは、笑顔もへったくれもなく、「踊らざるをえない」という感じが、とてもおもしろい。サディスティックな視点かもしれませんが。だけどトークなどでは、とても「イマドキの女の子」感が感じられ、意外に空気読めない系なんじゃないかという気もしました。また、最初の挨拶で本人の口から(最近知ったばっかの)「ばくわら」が聞けて、ちょっと嬉しかった。あと、意外に歌がうまい。なんでもかんでもサラリと歌っちゃうのは、損しているとも思うけど。
このステージで、かにょんがエース級なら、あやちょもエース級で、二人に共通する個人プレイ然としているたたずまいは、主観だけれど、スマイレージ4人時代は4人ともにそういう感じがしていたけれど(それがグループのカラーだった)、あやちょのグループに対して無頓着に見える雰囲気は、かつての矢島舞美に言われた「リーダーらしくないリーダー」に通ずるところもある気がするし、だけど違うのは、炎を背に一直線に疾走してしまうがゆえに周囲が見えなかった舞美のような感じではなくて、あやちょは別に、周囲が見えていないわけではないと思う。見えていて、だけど寄り添わない感じ? なんて言うと、孤高でクールビューティーなイメージだけど、違うな。寄り添えない感じ。それを知っちゃっている感じ。あやちょは、いつも、哀しげな感じ。……下がり眉毛のせいかもしれないけど。
だからこそ? スマイレージは、Keep Your Smile。この公演でも、あやちょの笑顔は「心から!」って感じで、ほんとうに楽しそう。あと、あやちょって、こんなに歌うまかったっけ。なんか、やたら声が出ているし、イメージよりも聞き取りやすいし、安定している(終盤、息切れがマイクに入っちゃったけど)。
ただ、(℃-ute鈴木愛理もそうなんだけど)どれだけでかい声を出しても、やっぱりあやちょの声質は、客席の煽りには不向きなんじゃないか、という気はした。というか、スマイレージは、煽りがうまいメンバーと、そうじゃないメンバーの落差が大きいように思いました。福田、竹内、田村は、カンペキ……いや、めいめいは吹き出しちゃうくらいに過剰。中西はカタすぎ。勝田は、(吹き出しちゃうくらいに)がんばれよ! という感じ。
そんな6人それぞれのコール&レスポンスから、“ドットビキニ”。公演はラストスパートに入りますが、ほんと、つんく曲は、コンサートで化けるな、と思いました。この曲もそうだし、序盤の“好きよ、純情反抗期。”でも感じたけど、ここまでダンスミュージックなんだとはイメージしていなかった。――“ドットビキニ”“大人の途中”と、開演からテンションを切らさず、ここまで持って来ることができれば、必ず会場は、「すごいことになる」。“有頂天LOVE”でクライマックスに達します。グループの一体感、グループと客席の一体感、会場の一体感、メンバーの笑顔、熱気と汗……さすがのセットリスト構成でした。
そして本編ラストは、“チョトマテクダサイ!”。この(一見すると)変化球曲で、まったく空気が薄まらず、違和感なく、ちゃんとコンサートを締められているあたり、これは音楽の自由。あなたたちが望むなら、これからどこにだって行ける、スマイレージの自由。

箱推し宣言!? その4

テレビは現代を映す鏡である、という感覚は、若い世代に行くほど希薄になっていっているような気もするし、だけど世代に関わらず、たとえばローティーンの子どもであれば、親をはじめとして、どれぐらいテレビを見る家庭であるかにもよるかもしれない。インターネット世代と言われる若者の中にもテレビ中毒の人は少なくないと思うし、ここでメディア論を語るつもりは毛頭ないけれど(そもそも資質もないけれど)、とにかく時代の空気の中で、ハローのグループが「トップアイドル」として認識されることに対して、ファンとして利点を感じれば望めばいいし、個人的になかろうと、メンバーたちがそれを望むなら、ファンとして望む、という気持ちもあるかと思います。
テレビが時代を正確に映し出したり、評価したりすることなど「大人の事情により」不可能であり、まさしくテレビそれ自体が視聴者に評価される立場なのだ、ということを知っている僕たちは、「だからこそインターネットなのだ」などと、ある一方を過信することもなく、ただテレビが現在においては老若男女に影響を与えうるツールである事実を踏まえ、アイドルグループという箱を「戦う国」に見立てたサバイバルゲームを、とことん楽しめればいいんだと思います。
最近、「Team岡井」による「踊ってみた」動画を何度も見ています。千聖によるメンバー紹介の際、「やっぱりそういうの(自己紹介時のキャッチフレーズ)があるんだね、アイドルって!」と、感心しきりな彼女がやたら微笑ましいんですが、それこそ80年代当時を知る人たちは、アイドルのセルフプロデュースと言えば、先日の武道館で共演した森高千里を挙げるのかなあと思うけれど、それから30年(!)、アイドルとして能動的にふるまうという行為が確立されている現代には同時に、消費者側が能動的にアイドル…に限らずアーティスト…に限らず、あらゆる情報を、能動的に取捨選択することを前提としなければならないような時代だからこそ、なおさら人々の価値観は多様化し、このゲームの「ルール」が、いつまで世間の共通認識として有効であるかはわかりません。
けれど、いまから僕は、もしハローのグループ、もしくはハロプロ全体が、国民的とは言わないまでも、いまのような、過小評価どころか(嫌ってくれるならまだいいほうで)まるで評価されていない黙殺状態から抜け出たとき、そのときの「現場」の盛り上がりに、(あくまで)ライトファンとして最後尾から、便乗する気まんまんです。
ただ、時間や資源が有限であるからこそ戦争(論争)は起こるんだろうし、けれども無限であれば、ゲーム(勝負)というものも成立しないわけです。近年、漫画家の小林よしのり氏が「AKB」に対して「ご乱心」であり、賛否両論あるみたいですが、とある対談動画で、「だけどワシは、ももクロもわかるし、モーニング娘。もわかる」「ハロプロのおもしろさもわかる」なんて発言がありました。「だからあえて見ないようにしている」と。見るべきコンテンツが多すぎて、「これ以上は飽和状態で仕事にならんよ!」と、うなだれるよしりんが、どこか他人事に感じられず苦笑いでしたが、そちらはそちらで、絶対に楽しいんでしょう。
僕が℃-uteというグループを知ったのは、たしか「AKB」という名前を知る前の話なので、比較してどうこうということはありませんでしたが、どうせ比較するなら、相乗効果が期待できるような比較が理想だなあ、とは思います。比較、それ自体が悪いことだとは思いません。
ずっと以前にも「のろけた」ことではありますが、アイドル界隈には無関心だった僕が、「ほえーっ」と言葉もなく惹きつけられた、その最初が℃-uteでした。興味本位で「男性の書く女性視点の歌詞」を探していて、試みにYouTubeでアイドル(っぽく見える)曲の動画を、いろいろと眺めていたら、気づけば「2006年℃-uteの日」とか、「キューティー探偵事務所」とか、公式ではない動画でしたけど、おかげでドハマりしていた(後日、前者は市販で、後者はオクで買いましたが)。リアルタイムでは“都会っ子 純情”の頃のこと、はじめは彼女たちが「(いわゆる)ハロプロ」であることも知りませんでしたけど、やがて、ライブのセットリスト構成や、曲の盛り上げ方など、全部が全部、℃-uteのオリジナルというわけじゃないんだ、ってこと、または、ほかのアイドルには、こういう文化はないんだ、みたいな、つまりはHello! Projectの特質を知ることになりました。
ここのグループの本領はライブパフォーマンスにある。コンサート会場を「現場」と呼ぶ習慣が常に説得力を持つのは、そういうことであり、またそれと同時に、現場以外のメディアにおける盛り上がりが定着していて、それが並行してあるからこそ、その一方での「現場」なんだと思います。……と、このようなことを、最近では新参ヲタと思しき人たちも評価してくれている感じがしますけど、せっかくだから、本領は現場で発揮される、という点で、「つんく楽曲」もまた同質である、という声が、YouTubeの視聴による感想とは別に、あってもいいような気がします。
ハロプロのコンサートは、ただのコンサートじゃない!――それは、生歌だからとか、ダンスがヤバイとかいう以前に、「単独」のコンサート「ツアー」なんだ、ということが、新参当時の僕には新鮮な驚きでした。ツアーの中で、グループの完成度が高まっていく様子(MAGICAL CUTIE TOUR)や、グループとファンの呼応により「曲が育つ」という経過が見られることは、シングルヒットなどとは別の次元で感動的だと思いました。……基本的に、それらを「在宅」で楽しんでいる、出不精な僕ではあるんだけれど。
単独コンサートツアーだけは、どんなに楽曲が売れようと、テレビ出演が増えようと、揺るがないでほしいハロプロの素晴らしさだから、おろそかにしてほしくないし、個人的にはテレビを見る習慣もないために、上述の「サバイバルゲームで盛り上がりたい」という気持ちと矛盾するんですが、それは棚上げさせてもらうとして……ファンとして、認知度の向上うんぬん関係なく、メンバーのテレビ出演を否定する理由は、ないなあ、と思っている。
それは、事務所のスタッフ以外の人たちと、もう少し仕事をしてもいいんじゃないか、という意味で。人見知りを自称するメンバー、あるいは内弁慶に見えるメンバーが、ちょっと多いように思えるハロメンに対して、そう思うこともあります。ハロプロのメンバーには、「箱入り娘」感が確かにあり、「SATOYAMA」とか、以前で言えば「美女学」とか、どこか清純っぽい、優等生っぽい方向性が基本にあるようですが、バラエティー的な企画の中で、あえてアイドル性をかなぐり捨てる、というような「闘志」を強要されないことは、おそらく一長一短ではないか。
価値観が無意味に固定されて、ときに自分をネガティブに評価してしまうくらいなら、箱推しDDとしては、「箱から出ろ」と、べつに、粉まみれになれ、などとは思わな……いや……正直に言えば、ほんの少し見てみたいけれども、メンバーのことを、何年も見続けているファンでさえ、むしろファンであるからこそ、見えていないような本質的な個性を、すんなり外野が表出させてくれる可能性とか、いままで見たこともないような一面が、意外なところで開花する、というようなことを期待するのは、欲張りかもしれないけれど、心配しなくても――アウェイでこてんぱんにやられたとしても、ダメならダメで、帰ってくればいいだけなんだから、と。30人強の集団ではありますが、ハロメンには帰る場所、おそらく多少なりとも、全員の共通認識であるだろう、ステージっていうホームがあるわけだから。
(つづく)

箱推し宣言!? その3

“ROCKエロティック”の話題を受けて「エロとかぜんぜん理解できない」と言う桃子のトークはネタではあるけれども、言い換えればこれが彼女の思うアイドル像の一面で、またこれは一般的な、典型的なアイドル像かもしれず、なるほど、と。僕としては、「いままでは〈セクシー〉という言葉でオブラートに包んでいたけど」なんていう茉麻の言葉に共感したわけだけれど、さらに言えば、アイドルと「性」の関係は、あらゆる方面、場面、局面において、切っても切り離せない要素なんじゃないかと感じてはいるんですが、今回それは置いておくとして、言いたいことは、アイドルであるはずの桃子が「アイドルだからわからなくってぇ〜」と、アイドルの「ふりをする」という、一見不自然なネタが成立する時点で、アイドルに「なる」という能動的な行為が、メンバーによって意識的に可能なのだ、ということです。
まったく詳しくはないですが、アイドルというものの歴史って、そこまで古くないはずで、たとえば僕でも知っている松田聖子とか、ああいう人たちが、素人のときに目指した職業って「アイドル」だったかっていうと、たぶん違って、あの時代にアイドルと呼ばれた人たちって、みんなアイドルに「なってしまった」人たちなんだろうと。時代に選ばれ、ある種祭り上げられることで、アイドル化する、それは「現象」に過ぎなくって、決して「職業」ではないからこそ、ときにアイドル化は歌手に限らず、女優や、スポーツ選手や、女子アナや、おばあちゃん(金さん銀さん)や、男性でも、「かわいければ」なんであろうと起こりえて、そして、そういう現象って、いまでもよくあると思うんですが、時代がそれと認識してこそアイドル、という、その観点から言えば、前回に書いた「トップアイドル」とは? に対する答えは、現在では「AKB」一択。ということになるんだと思います。
ほとんど無知に近いため(5人くらいしか名前を知らない!)、このグループ(?)を論じるなんておこがましすぎますが、あえて一般人としての想像をさせてもらえるなら、モーニング娘。の国民的ムーブメントが下火になって以降の、職業としての新生アイドルたちが認知の広がりを見せず、なぜ、「AKB」が勝者となりえたかを思うに、おそらく「職業」としての努力はもちろん、それに加え、「現象化」までを含めて、徹底的に仕掛けを展開したからじゃないんだろうか(ちなみに、まだ「AKB」がアイドル界隈の中でのみ有名だった頃だと思いますが、『AKB現象』なるかなり分厚い本が、書店にでんと置かれていてインパクトがありました)。やはり、アイドルそれ自身を磨くだけでは、ダメなんだなあと。なによりも「テレビ」であり、そのためには「アーティスト性」ではなく「タレント性」が最重要になるんだなあ、と。
言葉で言うのは簡単だけど、実際、これだけの成功を、時代の空気として僕自身が感じられている以上、偉業としか言えず、またそこには言わずもがな、メンバー(ってやっぱり呼ぶんでしょうか)の必死のがんばりがあることは想像に難くない。「歌手」だけでは通用しないなら、別の方法で勝負する。それをやらずして、「歌手」に「甘んじて」きた「自称」のアイドルたちが、これまでどれだけ現れては消えたことか。
今日において「職業」として、アイドル像が一般的に広く認識されていることは事実だと思うけれど、大方のイメージが「歌手」なのは、良くも悪くも、(受け身的に)アイドル化しやすい職業なんだという、これまでのアイドル史というものを物語っているんじゃないかという気がします。それゆえに、(能動的に)アイドルに「なる」という発想が、歌手という職業に直結しているんだとすれば、そこに「甘んじているんだろう」という見方は、もしかすると「アイドル嫌い」の人たちに共通する認識であるかもしれない。
前述していますが、アイドルは、なにが魅力となりえるか、絶対的な基準がないだけに、好き勝手が言えて、どれだけ高く評価することも、低く評価することも、けっこう自由だったり、極端な話、ただの「ヘタ」を「味」と言ってしまえる、とっても寛容で、ある意味怖い世界だったりする。「芸術」と似ているかもしれないけれど、対象が「かわいい女の子(男の子)」ならば、評価にも熱が入るでしょうから、ひょっとすると個人の心の中で完結しがちな「芸術」とは違い、火がつけば広がりも速いんじゃないかと(「論争」なんてもんがあるぐらいだし)。
けれど、それだけで国民的な歌手になるまでに広がりを見せることはない。世代間だけでなく、同年代においても取得情報のギャップがあり、一部の人たちにとっては超有名人でも、別の一部の人たちはまるで知らない、そんな現代に、アイドルに限らず、だれもが口ずさめる大衆歌を連発できるアーティストなど皆無であり、だからこそ「AKB」が、あるいはかつてのモーニング娘。のように、歌唱力よりもタレント性の発揮、話題性の提供が求められるということ。
せっかくニーズがあるなら、妙なこだわりは捨てて、とりあえず一度は全力で応えてみろ、というのは、つんくの考えでもありますし、まさしく初期のモーニング娘。は、(秋元氏の!)「うたばん」において、歌手として以上にタレント性がフューチャーされ、メンバーもそれに最大限の熱量で応えてきた。本来タレントを目指してデビューしたわけではない彼女たちが、歌手としても大成功した理由の一つでしょうけれど、歌手として「も」っていう言い方は、なんだか少し寂しいような気もしますね。
かくして時代から「消えた」モーニング娘。を含めた「ハロプロ」のアイドルたちではありますが、それでもなお彼女たちが、性懲りもなく、いつまでも歌手として活動を続けている理由は、かつての自分たちの人気を、歌手としての人気だと錯覚しているから……ではなく、そもそも(娘。結成時から変わらず)歌手だからで、落ちぶれて、ひっそりと地下に潜り込んだかと言えば、まあ、それほどでもなく、この前、日本武道館でライブを行ったのは、℃-uteっていう「無名の」グループでした。
℃-ute(キュート)――? 聞いたこともないですが、「ハロプロ」は、いったいどんなトンデモ企画を用意して、この武道館公演を成功させたんでしょうね。まさか、いわゆる普ッ通のコンサート(歌とかダンスとか)ってことはないでしょうし、学生やサラリーマンまでが、こぞって金を払ってまで平日に集まるような光景なんて、まるで想像もできませんが、まあ、そもそもアイドルなんて流行り廃りじゃないですか。瞬間的に人気は出ても、すぐに飽きられて、お金を払うこともバカらしくなるに決まっています。……9年目? へ、へえ。それだけ続けてまだテレビにも出れないんですか? さぞかし一般的には通用しない、お顔と歌唱力の面々なのでしょう。それでなぜ武道館? 9年目? モームスもそうだけど、どうして解散もせずに続けられているんだろう……?
(つづく)

箱推し宣言!? その2


続かなくても、むしろ続けるつもりでいた――。それはソロとして? それともグループを? 普通に聞けば前者だし、質問の回答としては、後者かな。普通に聞けば。そう。グループとしての成功よりも、個人としての成功が優先される。それが普通の感覚で、だから、親子でも姉妹でも、はたまた新婚でもなく、落ち着いた夫婦みたい、って、意識すらせず、だけどないと困る、それは空気みたいな、良く言っちゃえば一心同体状態になっちゃった桃子は、いまとなってはあんまり普通の感覚じゃないかもしれなくて、大学進学も、テレビ進出も、ソロ活動への布石、準備段階というよりは、嗣永桃子としてやりたいこと、ももちとしてやれること、全部、全部やってやる!って、そんなところじゃないかと、勝手に思います。エンターテイナー魂が根っこにある人なんだろうなと。だから、Berryz工房としての「嗣永桃子」が、彼女のエンターテイメントの中の確かな一つなのであれば、個人的には嬉しいですが、桃子にとってグループが空気みたいな存在なのだとすれば、確かもなにもないかもしれない。「在籍」という言葉では違和感を覚えるくらい、Berryz工房のメンバー嗣永桃子もまた、その一部であって、そこがおもしろいと思うんです。
彼女の人を楽しませたい欲求の強さと、そのためには「ももちが必要だ」という自己顕示欲の強さは、不器用なところも自覚的に武器に変えられる点で、ハロメンの中では随一と言ってもいいような気もするセルフプロデュース力の高さを物語るわけだけど、でもこれは桃子に限らず、そもそもセルフプロデュース(自己演出)力を持たないアイドルは、たぶん、この世界では生き残れないわけで、それがただ「清楚」という一点のイメージであれ、そのメンバーの「そうでありたい」欲求は、少なからずあるように思います。もちろん自己演出は、嘘というわけでもなく、妄想というわけでもなく、意志なんだと思いますが。
前回にも書いたように、アイドルという概念は多様な解釈ができてしまうため、これこそが「トップアイドル」だという定義は難しく、だからこそ、同じグループの中でも、メンバーがいろいろで楽しいわけなんですが、試みに、テレビ業界が主軸の人である秋元康氏がハロプロのプロデューサーになったとすれば、あら不思議。メンバーは同じでも、かわいさや、歌唱力は同じでも、ファンの目に映る能力の評価は、尺度からして変わり、人気もまた変わるかもしれない。……まあ、見たいかと言われれば、見たいような気もするし、それほどでもないようなことではありますが、桃子なら、それでも活躍できるかな? と。桃子は桃子を知っているから、できるかもしれない。できそうな気がする。じゃあ、桃子がアッチに行っちゃったとしても、安心かな? そのときも、いまと同じような桃子が見れるかな?
さきちゃんがいなくて、ちなみがいなくて、すーちゃんがいなくて、みやがいなくて、くまいちょーがいなくて、りさこがいなくて、スペジェネとか、モンキーダンスとか、胸スカとか、ライバルとか、もっとずっと一緒に居たかったとか、付き片とか、Be元気とか、あななしとか、ギャグ100とか、寝るまへーとか……。
(つづく)